はじめに
2025年11月23日 あいにくの曇り空の中、東京葛飾「北星鉛筆さん」の”鉛筆感謝祭”に参加しました。
Follow @thinkinknowそこで聞いた北星鉛筆・杉谷社長のひと言をきっかけに「鉛筆が削られる」ことの意味と「学びを手渡す人生」について考えました。小さくなることを恐れず役割を果たす鉛筆の姿は、学び続ける人の生き方そのものではないか──この記事はそんな想いを綴った記録です。
小さくなることを恐れない生き方
「鉛筆は自らを削り、人々に学びを授ける」
今年11月の曇り空の中、東京都葛飾区の「北星鉛筆さん」を訪れた際に「北星鉛筆・杉谷社長」から伺った言葉が胸に深く刺さりました。鉛筆は削られることで、形を失うのではなく役割を果たす。鉛筆が小さくなるほど人は学びを得る。その姿は、学び続ける“人の生き方”そのものだと感じました。
現代では「消耗した」「削られた」という言葉をよく耳にします。成果や数字を追うあまり、自己価値を外側の評価に委ねてしまうと、自分がどんどん小さくなっていくように思えてしまうことがあります。しかし鉛筆は、小さくなっていくことを恐れていません。削られるほど人の役に立ち、失うのではなく価値を手渡しているのです。もし削られた分だけ誰かの学びにつながるのだとしたら、それは決して「損失」ではなく、むしろ「授与」だと思うのです。
なぜ「読書」には依存症がないのか
最近の読書を通して、ひとつ思い至ったことがあります。人は快楽に依存することはあっても、読書で依存症にはなりません。おそらく、ギャンブルで快楽を得るときに放出される脳内物質と、読書で得られる知識を得たときの喜びはまったく異なるからです。
ギャンブルは刹那的な刺激を繰り返して日常を忘れる報酬系で、強烈な刺激を追求し続ける。それを追い求めた者を待つのは身の破滅でしょう。一方で読書は静かな喜びです。ページをめくるたびに世界が広がり、視座が高まり、思考が深まり、未来が少しずつ明るく見えていきます。
心の平穏を保ちながら人生を良い方向へ導く
──それが“学ぶこと”の力だと思います。
最近の読書
『アディクションと金融資本主義の精神』
(鈴木直 著/みすず書房)
学びは受け取って終わりではない
僕は「読書と文具」を発信の両輪にしています。SNSの世界でも決して目立つ活動ではないかもしれませんが、誰かの思考が静かに動き出すきっかけになれるのなら、それだけで十分に報われます。
学びは受け取って終わりではなく、別の誰かへ手渡されることで循環していきます。発信とは、その循環の一部を担う行為だと感じています。
鉛筆のように生きたい
だからこそ、僕は鉛筆のようにありたいのです。頭に汗をかき、身を削ることを恐れず、生きる時間が小さくなっていくことを悲しまず、日々の積み上げが誰かの学びに変わるのであれば、それを誇りとできる生き方を選びたいと思います。
今日もひとつ言葉を積み重ね、ひとつ学びを積み重ねていきます。静かに、けれども力強く前へ。






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