【思考ノート|都市編】体験型書店は本を売れなくしている──立ち読みを“体験”にしたマーケティングの誤算

体験型書店は本を売れなくしているというテーマで、一冊の本棚を背景に「立ち読みを体験にしたマーケティングの誤算」と書かれたアイキャッチ画像 思考ノート|都市・仕事・人
立ち読みを「体験」に昇華させたとき、書店は何を失ったのか。体験型書店の構造的な誤算を考える。

EC隆盛時代において、小売業が「体験的付加価値」を模索するのは自然な流れだ。書店業界も例外ではなく、近年はカフェを併設した「体験型書店」が各地に登場している。

しかし現実には、書店の斜陽化を食い止めるどころか、むしろそれを加速させているのではないかと感じる場面が増えてきた。

問題は「書店×カフェ」という形態そのものではない。たとえば東京駅と接続する丸善丸の内本店(OAZO)のように、書店で本を購入し、その熱量のまま近くのカフェで少し読み進める。これは購買後体験として、きわめて健全な導線だ。

本質的な問題は別のところにある。一部の体験型書店では、販売用の書籍を購入せずに長時間閲覧できる環境が整えられている。これは「立ち読み」の延長をはるかに超えて「購入を前提としない読書体験の制度化」だ。

書籍は、著者が時間と労力を注ぎ、出版社がコストとリスクを引き受けて市場に届ける商品である。その価値を無料で消費できる体験として提供することは、善意の文化支援ではない。構造的に見れば、書店自らが新品価値を毀損し、購買動機を弱めているにすぎない。

今回は「体験型書店」が抱えるこの矛盾を、マーケティングの視点から整理し直します。

はじめに

先日、JR山手線 高輪ゲートウェイ駅の周辺を散歩し、駅と接続する商業施設NEWoMan Takanawaで感じたことを記事にした。

香水ショップとベーカリーカフェが隣り合わせる店舗レイアウト。そこで感じた匂いの演出への違和感。商品の機能よりも”高輪にある意味”を価格に転嫁させたのでは、と思わせたアウトドアショップ。

来年にはアート施設もオープンするというが、ここは「文化の創造する場所」なのか、それとも「文化を消費する場所」なのか、そんな問いが浮かんできた。

しかし、読書人の末席に身を置く立場として、その施設にあった「BUNKITSU TOKYO」に立ち寄った際に感じたことが、他のことよりも強く印象に残っている。今回はそれをもっと深掘りしたいと思ったのがこの記事を書く動機になった。

体験型書店はなぜ「購買率」を下げてしまうのか

マーケティングの基本に立ち返ると、購買行動には明確な順序がある。

  1. 関心を持つ
  2. 中身を少し確認する
  3. 所有したいと思う
  4. 対価を支払う(購入する)

従来の書店における「立ち読み」は、この②を短時間で補助するための行為だった。あくまで目的は③と④にある。ところが、体験型書店の一部では、この順序が逆転している。

  • 着席できる
  • 飲み物がある
  • 長時間読める

結果として起きるのは、”所有しなくても満足できる”という体験だ。これは体験価値を高めているように見えて、購買に至る”心理的必然性”を消してしまっている。

本を買うとは、まだ読んでいないものに対して、お金と時間を差し出す行為である。その”賭け”が成立しない環境では、購入は起きにくい。

書店は「無料閲覧サービス」になったのか

ここで、図書館との違いを明確にしておく必要がある。

図書館
  • 公共財として設立
  • 資料の共有が目的
  • 税金で運営される
書店
  • ビジネス目的で設立
  • 著者・出版社と読者を繋ぐ
  • ”書籍販売の利益”で運営される

ここに示すとおり、図書館と書店は「設立の目的」「運営の意義」「持続させる要因」も全く違う。しかし体験型書店は、この二つの役割を曖昧に混ぜてしまった。

販売用の商品を、あたかも図書館の蔵書のように扱う。

これは「知の民主化」ではない。
市場としての自己否定ではないか。

無料で読める体験を制度化すればするほど、
書店は「買わなくてもいい場所」になる。
そしてその結果、購入はECに流れる。

書店が自らを、ECのショールームにしてしまっている構図がここで見られる。

マーケティング的結論:書店が壊してしまうもの

体験型書店の問題は、体験そのものではない。
問題は、どの体験を、どの順序で提供したかにある。

  • 購入前に、満足させすぎる
  • 新品であることの価値を曖昧にする
  • 書籍を所有する理由を提示していない

これは善意の失敗であり、同時に構造的な失敗でもある。

では「本を買う」とは何だったのか

ここまでの議論は、あくまでマーケティングの話だ。だが、ひとつだけ避けて通れない問いが残る。

すでに情報は溢れている。要約も、レビューも、引用も無料で手に入る。それでも人は、一冊の本を「自分のもの」として買う。

この行為は、効率でも合理性でも説明できない。ここから先は、マーケティングの言葉だけでは足りない。

結び|体験型書店に、いま求めたい“方向転換”

私は体験型書店を全面否定するわけではない。むしろ、今からでも形態を変え、出版界の発展に貢献する場所になってほしい。そう願っている。

体験型書店が目指すべきは「読ませる体験」ではなく、「買いたくなる体験」の設計ではないか。購買の熱量を受け止め、棚と向き合い、連れて帰りたくなる。そして新聞で、テレビでラジオで、SNSで、紹介されていた”あの本”と出逢える。そんな「体験空間」だ。

書籍とは、著者と出版社が時間とコストを引き受けて、市場に送り出す“商品”である。だからこそ、書店が提供する体験は、無料閲覧の制度化ではなく、市場を持続させる導線であってほしい。

「書店×カフェ」は決して悪くない。今後、やり方によっては「書店×図書館×カフェ」だってあり得る。だがそれは「書籍購買の熱量」を冷まさないためにこそ、存在してほしい。

「書店での滞在」が購買を弱めるのではなく、「書店で本を買うこと」が体験を豊かにする。そんな順序へ、もう一度立ち返ってほしい。

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