問いを問うために書く──パイロット743とロルバーンで思考を精製する

問いを深めるためには問いを問うしかない──万年筆とノートが導く思考の触媒とは?というメッセージが書かれたアイキャッチ画像 書く習慣
問いを問うことから始めよう。 万年筆とノートという“触媒”が、あなたの思考を深く、しなやかに導く。

ロルバーンのB5ノートを久しぶりに広げたら、1年前のページにこう書いてあった。

「正しく途方に暮れる」
「途方に暮れるレッスン」

ロルバーンノートに貼られた黄色の付箋に書かれた問いのメモ
約1年前に書いたメモ。意味は曖昧だったが、いま見返すと──これは「問いの原石」だった。

ふと見返したこのフレーズは、奇妙な親しみを持って僕に迫ってきた。何をきっかけに書いたのかは思い出せない。しかし1年前の自分が、いまの僕に問いを差し出してきたような感じがした。

思えば最近ずっと「問いの持ち方」について考えている。いや、それよりもっと深く──「問いを問う」とは何か?を自分に課していると言ったほうが近い。

今夜は、そのテーマに身体を使って向き合ってみようと思う。


思索の装置としての万年筆とノート

問いを問うために、僕が選んだのは「パイロット カスタム743(Mニブ)」と「ロルバーンのB5ノート」だ。

パイロット743の全景
パイロットカスタム743の全景。太すぎず、細すぎず。なめらかに、しなやかに。パイロット万年筆の万能選手。

そして、たっぷりとインクが流れる”743”は思考を途切れさせない。ペン先が紙に触れた瞬間に、言葉がインクになってにじみ出す。

A5よりも大きなB5のページは紙面が広い。いやかなり広く感じる。

黒表紙のロルバーンB5ノートと青いゴムバンド
B5サイズのロルバーンは、思考をのびのびとさせてくれる。書く空間は、考える余白でもある。

まるで思考のフィールドが広がったようだ。のびのびと考えることができる。そこに大きな文字を書くことで、思考も広がる。まるで身体全体を使って問いを追いかけているような気分になる。

この筆記感覚を“贅沢”と呼ぶ人もいるかもしれない。でも、僕にとっては思考するための準備運動だ。


筆記という思考──問いの精製過程

僕が今、紙に書いているのは「問うことを問うとは何か?」という、自家撞着気味の問いだ。

でも、書くうちにわかってきた。

問いとは、答えを得るためのものではない。
自分の思考が向かおうとしている“方向”そのものを示すものだ。

そしてその方向が合っているかどうかを確かめるには、問いの純度=精製度を上げていくしかない。

パイロットカスタム743のクリップ部分のアップ
ペン先が走ると、思考が滑り出す。この流れに助けられて、問いが浮かび上がる。

最初はざらついていた問いが、書くことで徐々に輪郭を帯びてくる。 語尾が変わり、主語が変わり、焦点が変わっていく。そのプロセスこそが、僕にとっての“問いに迫る時間”だ。

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確信に迫れたか?──一日の終わりに問う

思考の終わりに、僕はいつも自分にこう問いかける。

今日の自分は、内在する問いの“確信”に一歩でも近づけたか?

ロルバーンノートに手書きされたメッセージとペン先
「問いの質を高めるために。常に己に問う」書くことでしか、自分の確信には近づけない。

これは“成果”を求める問いではない。 ただ、「自分の中の問いが、昨日よりも少しだけ濃く、少しだけ純粋なものに変化しているか?」を問うだけだ。

これを毎日繰り返すことで、問いの精製度は確実に高まっていく

それがきっと、僕の知的生産の土台をつくるのだろう。


おわりに:書くことは、問いの鏡だ

万年筆で書くという行為は、考えることに似ている。 一字一字に“自分の問いとの距離”が映っている。ロルバーンの余白は、問いの余白でもある。問いを問うというのは、つまり、”問いに本気で向き合う覚悟があるか?”を問うこと。

僕にとって、それは文字通り「書くことでしか見えないもの」なのだ。


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