【THINK INK NOW Living with art】『六本木クロッシング 2025』再び──現代アートが突きつけた”言葉の強さ”

六本木クロッシング2025再訪レポート|現代アートが突きつけた「言葉の強さ」をテーマにした暗闇の展示空間と映像作品のアイキャッチ画像 イベントレポート
暗闇の展示空間で、言葉は“読むもの”ではなく“浴びるもの”へと変わった──『六本木クロッシング2025』再訪で突きつけられた、現代アートの“言葉の強さ”。

はじめに

先月見た、森美術館の現代アート展「六本木クロッシングー時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」が衝撃的だった。言葉にできない体験だったのはこの記事に書いた通りである。

アートは、絵画や彫刻、映像そのほかの有形無形の素材で人間の感情を表現する。言葉による表現を選択しなかったということは、受け手の解釈によって作品は完成るるのだと、勝手に思い込んでいるがそれでいいいのだ、と。

しかし、映像とメッセージによる作品『<聴取者>THE LISTNER/荒木悠』が強烈な記憶として残っている。いわば事故に近い。

それから約1ヶ月が経ったのに、渇望に近いカタチで、どうしてももう一度見たい、その言葉を浴びたい、と迫ってくる。

なので、再び僕は六本木の地に足を向けた。どこまでお伝えできるか自信はありませんが、作品の魅力というか、鑑賞2度目のインプレッションをお伝えします。


印象に残った『六本木クロッシング 2025』出展作品 ①

現代アート展「六本木クロッシング 2025」出展作品 ──「《証人〈アルタデナ〉2025》ケリー・アカシ」
現代アート展「六本木クロッシング 2025」出展作品 ──「《証人〈アルタデナ〉2025》ケリー・アカシ」 自らの手を形どったとされる。作品カタログの解説によると、死を内包する存在だとの表現だろうだ。

暗闇に浮かぶ言葉の空間で、私は立ち止まった

展示室に足を踏み入れた瞬間、視界は暗闇に包まれる。そして正面のスクリーンには、回転する牡蠣をモチーフにした映像と、足元のモニターには正反双方の断片的な言葉が照射され、環境音のBGMと共に、低い声のナレーションが響く。

『<聴取者>THE LISTENER 2025/荒木悠』現代アート展「六本木クロッシング 2025」出展作品の外観図
『<聴取者>THE LISTENER 2025/荒木悠』現代アート展「六本木クロッシング 2025」出展作品──スクリーン中央には牡蠣の貝殻が、足元のディスプレイには正反双方の言葉が交互に映し出されていた。

その光景は「読む」のではなかった。言葉を浴びる、いや「曝された」に近い。言葉が情報ではなく、物質のように存在していた。

『<聴取者>THE LISTENER 2025/荒木悠』の言葉の断片「騒音は混乱を招く」
『<聴取者>THE LISTENER 2025/荒木悠』の言葉の断片「騒音は混乱を招く」ー ノイジーな今を感じる。
『<聴取者>THE LISTENER 2025/荒木悠』の言葉の断片「変革には認知が必要だ」
『<聴取者>THE LISTENER 2025/荒木悠』の言葉の断片「変革には認知が必要だ」ー たしかにそうだ。しかしそれだけでいいのか?

普段、私たちは言葉を軽く扱いすぎているのではないか──そんな問いが、静かに胸に沈んでいった。

声を上げることと、沈黙することのあいだ

作品の中で繰り返し示されていたのは「声を上げよ」というメッセージと「沈黙もまた意味を持つ」という逆の命題だった。

『<聴取者>THE LISTENER 2025/荒木悠』の言葉の断片「大声が強いとは限らない」
『<聴取者>THE LISTENER 2025/荒木悠』の言葉の断片「大声が強いとは限らない」ー 本当にその通りだ。

どちらも正しいようで、どちらも危うい。声は変化を生むが、騒音にもなる。沈黙は屈服にも見えるが、抵抗にもなり得る。

私たちはいつも、この揺れの中で判断している。正解は状況によって変わる。それでも選ばなければならない、その重さが突きつけられた。


真実は語るたびに揺れ動く

さらに映像作品が続くと「真実を語れ」という言葉と同時に、「真実は語るたびに変わる」という断片があった。

『<聴取者>THE LISTENER 2025/荒木悠』の言葉の断片「変革には沈黙が必要だ」
『<聴取者>THE LISTENER 2025/荒木悠』の言葉の断片「変革には沈黙が必要だ」ー 沈黙が変革に繋がるのか?

ここに、この作品の核心がある。私たちが発する言葉は嘘でなくとも、完全な真実でもない。視点、経験、感情によって形を変える。

それでも言葉は現実に影響を与え、人の心を動かす。だからこそ言葉には力があり、同時に責任が伴う。語ること自体が、すでに世界への関与なのだ。


それでも僕は、祈るように言葉を書く

この作品の強さから僕は文章を持てなくなるのか。僕は自分の言葉が常に正しいとは思っていない。思い違いも、迷いも、後から悔いる表現もある。それでも、いま書いている。

では、なぜ書くのか。

それは主張というより、生きることへの感謝に近い感覚だ。残りの人生も残り少なくなってきた。僕もいつかはこの世から消えていなくなる。

そして人は生きている限り、言葉を持つ。言葉は刃にもなり得るが、灯りにもなり得る。言葉は人間の弱さゆえの表現でもあるが、弱いからこそ、読み手の心は強く揺さぶられるのだ。

僕は言葉に誠実でありたいと思う。断定ではなく、いま見えている景色として差し出す。その姿勢こそが、言葉への責任なのだと思う。

『<聴取者>THE LISTENER 2025/荒木悠』の作品カタログによる思索的言葉のすべて。
『<聴取者>THE LISTENER 2025/荒木悠』の作品カタログに掲載されている思索的言葉のすべて。

言葉の強さに向き合う覚悟を、この作品は僕に教えているのだと感じながら、僕は会場を後にした。また現代アートで心を揺さぶられたい。


印象に残った『六本木クロッシング 2025』出展作品 ②

現代アート展「六本木クロッシング 2025」出展作品 ── 『水中の月 The Moon Underwater 2025 / A.A.Murakami」
現代アート展「六本木クロッシング 2025」出展作品 ── 『水中の月 The Moon Underwater 2025 / A.A.Murakami」
現代アート展「六本木クロッシング 2025」出展作品 ー 『地下鉄出口 1a Subway Exit 1a 2025 / ズガコーサクとクリ・エイト』①
現代アート展「六本木クロッシング 2025」出展作品 ー 『地下鉄出口 1a Subway Exit 1a 2025 / ズガコーサクとクリ・エイト』①
現代アート展「六本木クロッシング 2025」出展作品 ー 『地下鉄出口 1a Subway Exit 1a 2025 / ズガコーサクとクリ・エイト』②
現代アート展「六本木クロッシング 2025」出展作品 ー 『地下鉄出口 1a Subway Exit 1a 2025 / ズガコーサクとクリ・エイト』②

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