Webデザインにも芸術的審美眼が必要だ
文具女子博の帰り道、ふらりと立ち寄った三菱一号館美術館。


ルノワールの作品を目の前にして、僕はただ立ち尽くしていた。

近づいて見ると、絵の具は厚く盛られ、木工ボンドのような質感さえある。油絵なら当たり前の質感であるのに、そこには柔らかい肌があった。髪はサラサラと風に揺れているように見え、目元には潤いが宿っていた。
──ただの絵の具のはずなのに、なぜこんなにも生きているように感じるのか?
それは美術館での体験であると同時に「デザインやWeb構築にも通じる”問い”」であった。
情報をどう“見せるか”ではなく、どう“響かせるか”
僕たちはWeb制作において、「見やすく」「分かりやすく」といった機能的な視点ばかりに偏りがちだ。
でもルノワールの絵の前では、“分かりやすさ”なんて問題じゃなかった。説明されなくても、感覚として「伝わってくる」何かがあった。
つまり、感性に届くデザインとは「構造の美しさ × 情報の余白」から生まれるのではないか。

芸術作品が語らないのに、心に残る理由
Webの世界では、伝えすぎてしまうことで“届かなくなる”ことがある。余白を恐れてすべてを埋めようとすると、かえって印象は薄まってしまう。
一方、芸術作品は語らない。でも問いを残す。それが、「観る人の中で意味が生まれる」構造になっている。
問いを投げかけてくるデザインこそ「強く印象」に残る。
これはアートの本質であり、Web戦略における“審美的設計”のヒントでもある。
ルノワールに学ぶ「距離感と階層構造」
ルノワールの作品をはじめキャンバスに描かれた油絵は、遠くから見ると柔らかく、近づくとざらついていた。一枚の画面の中に“階層”があり、視点の移動によって印象が変わる。
これはまさに、Webにおけるファーストビューと記事詳細の関係、トップページとカテゴリーページの設計思想に通じている。
どの距離でも“意味がある”構造──それが芸術であり、Web設計でもある。

僕たちのWebにも、芸術的審美眼が必要だ
芸術作品に触れるということは、感動することではなく、“なぜ感動したのか”を問う訓練なのかもしれない。
その問いを重ねることで、「なぜ伝わるのか?」「どうして響いたのか?」という視点が研ぎ澄まされていく。
それはそのまま、Webの構成、UI、文章設計にも活かせる。情報をどう置くか。どう余白を持たせるか。どこまで説明し、どこで黙るか。
すべての答えは、あの静かな絵の中にあった。
僕たちのWebにも、芸術的審美眼が必要だ。
感性で読み、構造で届ける。芸術と戦略が交差するところに、言葉とデザインの“深さ”は生まれる。
またWebの創作やデザインに関わるものとして”問い続ける姿勢”を持ち続けたい。
コメント