ここ最近、2日に1本のペースでnoteの新規記事を公開しています。ただ、いずれも派手な主張や技巧を凝らした文章ではありません。
むしろその逆で、心の中で静かに動いている感情を、言葉に置き換える気持ちで書いた文章です。
この記事では、僕自身が勝手に厳選した3本の記事を振り返りながら、
なぜ、いま僕はnoteで書いているのか?
という問いを、もう一度見つめてみようと思います。
なぜ、いまnoteで書き続けているのか
THINK INK NOWというブログは、僕にとって「考えたことを整理して積層していく場所」です。
記事としてのまとまり、完成度、構成、読みやすさ、情報としての価値──そういったものを意識しながら、できるだけ“読者のため”のカタチに整えています。
一方でnoteは、一言でいえば、「仕上げるための場所」ではなく、「感じたままを置いておく場所」、個人的で、呼吸や衝動に近い場所だと感じています。
- 日常生活で引っかかったこと
- うまく言葉にならない感情
- 心の奥でまだ揺れていること
そうした“情報とはいえない”ものを、生の感情のまま文章で置いておける。そんな場所として機能しはじめている気がしているんです。
あわせて読みたい
THINK INK NOWの「カテゴリー:書く習慣」には、書くことにまつわる記事を、いくつも綴っています。よろしければ、この機会にご覧ください。
最近公開したnote3本
ここからは、最近公開した3本の記事をご紹介します。
読書とは自分の中の言葉未満の感覚を呼び起こす行為です。
公開日:2025/12/20
読書を「情報収集」や「知識の獲得」ではなく、“自分の中にあった言葉未満の感覚を呼び起こす行為”として捉え直した文章です。
僕は本を読むとき「知らなかったことを知る」というよりも、
もともと胸の奥に沈んでいた何かが
そっと浮かび上がってくる
そんな感覚を覚えることがあります。
このnoteでは、その感覚を丁寧にすくいあげてみました。
読書という営みの、静かな尊さについて書いた一本です。
言い切らなくなった日のこと
公開日:2025/12/22
若い頃の僕は、すぐに断定する、言い切りたがりな人間でした。
- 〜である
- 〜すべきだ
- 〜こそ正しい
世界を強い言葉で切り取ることが「自分のスタンス」だと思っていたのかもしれません。
でも、いまは少し違います。
断定よりも、余白のある言葉でいたい
曖昧さは弱さではなく、むしろ“他者へ心を解放している状態”なのではないかと思っています。
そんな心境の変化を、素直に綴りました。
“僕は「毒母」に育てられたのかもしれない”
公開日:2025/12/26
母との関係をテーマにした、少し重たい文章です。
このnoteは誰かを責めたいとか、過去の出来事に決着をつけたいというよりも、
いまの自分の痛みの輪郭を
そっと指でなぞってみる
そんな心持ちで書いた文章です。
書きながら思ったのは、「人は簡単に、加害者にも被害者にもならない」ということ。だからこれは、結論を出すための文章ではありません。
それでも書かずにはいられなかった──
そんな一本です。
noteとブログ。それぞれの役割
こうして振り返ってみると、
- note
→ 心の揺れ・思考や感情・個人的な物語 - THINK INK NOW
→ 思索結果・構造化・アーカイブ・情報的
という役割分担が、自然と生まれてきているように思います。
noteで生まれた“揺らぎ”が、少しずつ熟成されて、
ブログの記事へと姿を変えていく——
その往復運動こそが、今の僕の書く営みなのかもしれません。
これからも、静かに書き続けます
うまく言葉にできない感情こそ、実は一番大切な場所で生まれている。
そんな気がしています。
だからこれからも、noteには未完成のままの言葉を置いていき、ブログではそれを少しずつ編み直しながら、長く残る文章として積み重ねていこうと思います。
もしよろしければ、気になるnote記事から読んでいただけたら嬉しいです。
そして、こうしてブログで繋がってくださっていることにも、心から感謝の意を表します。
今日も、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。



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